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It was pleasant Friday evening on Japanese 2nd biggest holiday season well known as it is called Golden Week in May, Cairo Apartment team and artist JUN IWASAKI just popped into Italian Cafe near nidi gallery where Jun is currently having solo exhibition at. Jun’s first solo exhibition will be closed in a few days. Luckily we had a chance to hear about his project and thought for his life and style. While evening breeze was blowing, a glass of Negroni on my right hand, a cup of espresso on the table too.
Cairo Apartment(以下: CA)東京で初めての展覧会があと数日で終わってしまいますが、始まってみていかがですか?
JUN IWASAKI(以下:J)そうですね、今回は初めての写真の展覧会で、作品のプリントもフレーミングのテストもディスクリプションもまとめ、準備万端にしてnidi galleryへ企画を持ち込んだので、当日に作品がないとか、準備が間に合わないとか大きなトラブルはなかったです。それもあって展覧会が始まってからも想像以上にリラックスしています。日々来場いただくお客様から刺激をいただけています。
CA : 私も本日一緒に在廊させていただきましたが、じっくりと作品を見てくださるお客様が多い印象ですね。あと、旧友や、とにかく実際の作品を見ることを楽しみにしていた人が多いなと感じました。
J : そうですね、これまできちんとこういった形で作品を発表してこなかったので、楽しみにしていたと言ってくださる方はとても多いですね。SNSで写真を見たり、もう既に写真集をどこかで買ってくださっていたりする方だけではなく、日記やエッセイを読んでくださっていて話したかったと来てくださる方も多いです。文章を書くのは好きなのですが、ほとんど自分自身のために記しているだけなので、あれがどう読まれていたのかを考えるとそれはそれで結構恥ずかしいのですが。小学校の同級生が来たり、古い友人が子供を連れてきたり、自分や周りの成長を感じるようなシーンも今回はとても多かったです。
CA : なるほど。一応、これはwebで公開する予定なので、読者の皆様にわかりやすいように、まずここで簡単にご紹介させていただきます。Cairo Apartmentより2021年3月に写真集 『To Find The Right Chair』を刊行させていただきましたアーティストJUN IWASAKI。イワサキさんは、京都府出身で主に写真をミディアムとして作品を制作されています。鑑賞者の感情が入り込む余地のある絵やシークエンスを用いた連続作品が特徴的です。本日は、シリーズTo Find The Right Chairを中心にお話させていただければと思います。
J : 改まると違和感を感じるような関係なので逆に緊張感が増しますが、どうぞ宜しくお願いします。
CA : まずは、To Find The Right Chairはどのような経緯でスタートしたシリーズなのか少し教えてください。
J : 2012年から長く写真を撮り、漠然といつかは本を作ろうと思っていたのですが、なかなかしっくりくるテーマが見つからず、悶々としていました。 自分の写真を色々と見返して、日記やメモ書きなども読み返していました。ある時、自分の写真は、「その目の前にあるものを記録しているのではなく、被写体に自分の心情を投影して、それを記録するかのように撮しているのではないか」と思ったんです。その気付きがあって、このプロジェクトはどんどんと進み出しました。ですので、スタートはその時だとも言えるかもしれません。
CA : 2012年から撮り始めたのは、イワサキさんがフィジーにいかれた頃からですか?
J : そうですね。学生時代にマルセル・モース『贈与論』を読み、フィジアンのコミュニティ、特に「ケレケレ」という文化について興味を持ちました。その頃、大学の研究でパブリックアートを研究していたので、コミュニティを研究題材の一部にし、文化人類学的な観点からパブリックアートの研究をsしていました。時を同じくして、2011年東日本大震災もあり、自分の生活や生き方を深く考えなおさざるを得ない環境となり、思うことがあり現地の人と生活をしようとフィジーへ向かいました。その中でフィールドワーク的に物事を記録するためにカメラを使い始めたのが写真を撮り始めたきっかけです。
CA : なるほど。当初、写真を撮るのはあくまで記録だったということですね。To Find The Right Chairでは、機材にはそれほど拘らず、色々なカメラを使って写真を撮られていますよね。
J : そうです。特にカメラへの執着のようなものはこのシリーズでは(むしろ今でも)強いものがあるわけではなく、Leica M6、Ricoh GR2、Kyocera Slim T、オリンパス Mju2、写ルンですなど、それからMAMIYA RB 67のような中判カメラやkyocera Samuraiのようなハーフカメラも最初はよく使っていました。一貫しているのは、フィルムを使っていることくらいです。 写真を勉強していたわけではないので、最初フィルムカメラを使い出したのも、フィジーに住むにあたり、フィジーではパワーカットが良く起きるから電化製品が信頼できないと何かで読んだんです。そこで、昔どこかの雑誌か本で読んだ「登山家がカメラとは別に写るんですをポケットに忍ばせる」というのを思い出し、自分もそのくらいの気持ちでローカルに馴染もうと思ったのを覚えています。やっぱり自分の中では記録し残すことが大切だったんだと思います。
CA : 初耳でした。フィジーにそんなに気合を入れて行かれたんですね。
J : 始めて行く土地でしたし、15歳くらいから海外旅行へはよく行っていたのですが、それまでやっぱり先進国しか行ったことがなかったので、発展途上国であるフィジーへ行く前は、想像が現実を超えてすぎていて構えていたかもしれません。 ただ、実際現地での生活は想像以上にタフで、楽しく笑えるような話はたくさんあるのですが、ここで話し始めるとTo Find The RIght Chairについて話すべきことからどんどんと離れてしまいそうなので、また機会を見つけて話したいですね。もちろん、そんな経験もTo Find The Right Chairの見えないエッセンスとなっているはずなんですが。
CA : 以前に少し聞かせていただいた、一緒に住んでいた家族の巨漢のママがイワサキさんが着ていたエルトンジョンの顔が大きくプリントされたティシャツを勝手に着ていて、エルトンジョンとその彼氏の顔が横にすごく伸びていた、とか、街を歩くときはお金を靴下の中に入れて歩いていた、とか、そういうストーリーですね。
J : そうです。なかなか面白い出来事が毎日起きていました。
CA : でも、そこから2018年までの間に、バイロンベイに住み、メルボルンに住み、パリに住み、オークランドへ行かれる。いつ頃からこのプロジェクトを作品と明確に認識し、本を作ろうと考えてたのですか?
J : 明確にこのプロジェクトを認識したのはおそらく2018年でした。写真集『To Find The Right Chair』を作る前にダミーブックとしてまとめたジンがありました。それは、2か3部しか作らなかったし、サイズもA5でぺらっと薄いものでした。せっかく作ったので、それに個人的には割と気に入っていたこともあり、webにアップしてみたところ、パリの書店Librairie Yvon Lambertの店主Brunoから「この本は販売していないの?すごくいいね」と連絡が来たので、嬉しくなって一冊送りました。彼に素晴らしいと言われたことがこの本を完成させることに繋がっています。
CA : そうですね、こうやって完成した写真集と初期段階で作られたダミーは装丁なども含めると全然違うものとなっていますが、見せていただいたダミーで使用されていた写真や構成等はこの写真集をまとめるときの基礎となっていますね。
J : そうですね、やはりその時点で本として出来る表現をしたいと模索していたのと、前作『Hear The Wind Sing』(Self Published, 2018)も同じように本としての作品を纏え上げていたので、ダミーを作った時点でも同じような考えの元に作っていたので、既に基礎は出来上がっていました。
CA : 2012年からだと9-10年間ほど撮りためた写真になると思います。膨大な枚数の写真があったと思うのですが、どのようにプロジェクトの輪郭を作られたのでしょうか?
J : ずっと写真を撮っていたのですが、テーマを決めて撮るということをあまりしていないので、おっしゃる通り枚数は膨大に膨れ上がっていました。それらの写真を見ていると、自分はある種フィールドワーク的に記録する写真の撮り方をしているのだけれど、メタファーを感じるものやエモーショナルなシーンがとても多いことに気付きました。 もともとシークエンスやメタファーのある写真がとても好きです。ドラマのない淡々とした、事と事の間を撮るようなことが好きでした、そういう写真を好んで撮っていると、その時点で実はフィールドワーク的な記録写真ではなくなっていました。むしろ、フィールドワーク的に撮るべきものと撮るべきものの間にあるものを撮っていたのかもしれません。
CA : なるほど、無意識ではあるけれどもっと表現的な写真に近付いていたのですね。
J : 「精神的な絵を描くことがある」その言葉にしっくり来たのをはっきりと覚えています。日々、日記なりに言葉を記録しているので、それも写真を選ぶ中で重要な要素となりました、「撮る作業」と「編集作業」を別として考えることで、大袈裟にいうと他人の写真とテキストを読み解き、編集していったような感覚でした。そんな風にこのシリーズの輪郭を作っていったように思います。 また、今回のシリーズは、ぼくの20代の写真という位置付けも出来ます。「移動(Move)」と「拠点を置く(settled)」ことを繰り返す日々の中で、自分自身の価値観や考え方などが形成されていったと思っています。ですので、移動を連想する絵(飛行機や空港、空など)や拠点を置く印象を持つ絵(テーブルの上のシーン、椅子、パソコン)などの写真選考の際に、軸にしました。
CA : そういう読み解き方があるのですね。言われてみれば、場所は特定できないけれど、空港や空、テーブル上の写真が多いです。ちなみに、作品を作るにあたり、影響を受けた作家や作品はありますか?
J : この作品を作るにあたり特に影響を受けているものを3つあげるとすると、写真家Paul Graham 『Paris 11-15 November』(MACK, 2015)、デンマークのペインターVilhelm Hammershøi、アメリカ・オレゴンを拠点とする写真家Robert Adamsです。 Paul Graham『Paris 11-15 November』はおそらく一番好きな写真集です。本当に名作だと思います。2015年、パリで起きたシャルリーエブド襲撃事件の後、緊急事態宣言が発令され、自宅待機している時に作家の家の中で撮られたシリーズです。一見、キレイな光が差し込む光景の連続写真なのですが、ここに写されるシーンの動きや空気の穏やかさとは裏腹に、世の中や作家本人は経験したこともないほどの見えない恐怖と戦っていた。その背景は一切写真集の中には記載されず、唯一の手がかりはタイトルの場所と日にちだけなのです。この写真集を見た人には光の動きがきれいな写真にしか見えてこない。 Vilhelm Hammershøiは、東京都美術館の常設の部屋に大きい作品があり、ふと見て感動しました。彼女がコペンハーゲンに住んでいたので、会いに行くときにHammershøiの作品をたくさん見て、彼が住んでいた家に行き、彼が夏季休暇を過ごした湖へ行き、同じ空気を感じてきました。最後に、コペンハーゲンの古書店で一冊の分厚い作品集と出会います。 敬愛する作家のいた場所へ行くことは、観光的ではありますが、そうすることで自分の見える絵が変わるのではないかと思ったのです。実際に、ぼくの作品は絵画っぽいですねと言われることが多いのですが、きっとそういう細部にその場所で感じたものが染み込んでいるのだと思います。 Robert Adamsは、彼の写真のビジュアル的な要素だけではなく、彼の日々の生活における眼差し(精神性)にとても惹かれています。ドラマのない淡々とした写真が好きなのですが、その絵の背景にあるものは荒れ狂うような感情だったり、出来事だったりするというのが好きなのです。自分なりのビジュアルの作り方で彼のような精神性でものを作りたいと思ったのです。
CA : 今こうやって展示をしているが、写真集が先にできました。
J : はい、写真集は1年前に完成しましたね。ただ、厳密にいうと、写真集が先にできたのではなく、さっきもすこし話していたように当初は写真集しか作るつもりがなかったのです。ぼくは、写真集として作品を見せること、写真集ならではの写真の見せ方に興味がありますし、本というフォーマットは、非常に面白い物語を紡ぐことができる。
CA : 本でしかできないことをするというのは、今回一緒に本を出版するにあたり意識を強くした部分でもありますよね。
J : そうですね、そこは散々議論をさせてもらって、すり合わせした部分でしたね。本はページをめくる行為によって、絵が行っては、また違う絵が浮かび上がる。そんな構造をしているので、鑑賞者の脳内に残像として絵が蓄積されていく。そして、最後まで見終わった時に感じる感情のような、ある種の短編映画を見終わった時と同じような感情がそこに残れば良いなと思って今回この本を纏めました。飽きずにさらっと見れることや、オブジェクトとしての佇まいの良さなどはCairo Apartmentから刊行することとなり、より洗礼された印象はあります。
CA : それほど、本のフォーマットを考えて写真を選んでしまっていては、展示空間を作るのは難しかったのではないですか?
J : そうですね。しかし一方で、展示作品に落とし込んだ時には、空間の強さに耐えうる各作品の独立した強度と、作品を持ち帰ってもらい、家に飾られた時に独立してしっかりと佇まいを持てるかどうかをすごく意識しました。フレームの色も白っぽいですが、若干グレーが入ったような簡単にオフホワイトと言えないような色合いで、フレームも特別に信頼する額装屋に作ってもらいました。それはとても楽しい作業でした。やっぱりオブジェクトが好きなのだなと再認識するようでした。 そのため、写真集に比べるとフレーミングされた作品は色の出し方も全く違うし、構成も若干違います。写真集で使っていない写真も数枚展示では展示しました。写真集と展示作品では、紙も印刷方法も全く違いますので、一つはっきりとお客様にお伝えしたいのは、Cairo Apartmentと作った写真集は、独立した本という形をした一つの作品であって、今回展示をしている作品の作品集ではないということです。全く別物だと思って貰えるのが一番良いと思っています。それには、本でしかできないことと、額装し、空間でした成立しないことがお互いに存在するからなのです。
CA : それはCairo Apartmentとして言いたかったところではありますが、私たちがいうよりアーティストの口からはっきりと言って貰えるとすごく説得力が増しますしCairo Apartmentとしてやりたいことが伝えられる。本は、オリジナル作品の劣化版と思われがちですからね。
J : そうですね、どちらも別物なので。それに、nidi galleryの清水さんはアーティストへの理解があり、今回展示をさせてもらえなかったら、これほどまで明確に展示作品と写真集が違うものであるということを強く言えなかったので、本当に清水さんにはこの機会をいただけて感謝しています。
CA : 作品に関していうと、静けさや光が印象的ですとおっしゃるお客様が多い印象を受けます。それから、場所が特定できない写真が多いと言っているお客様も多いですね。
J : 光に関しては、もちろん自分でもそう思いますし、きっと好きなのでそういう風に写真を撮っています。だけれど、ビジュアルはあえてきれいにしているし、あえて静けさを感じるようなものを選んでいます。静けさや美しさの背景にあるこのプロジェクトで起きてきた様々なぼくの不安や自信のなさは、表面には見えないけれど、きっと作品に垣間見えている。そこのギャップが大きければ大きいほど、作品のコンセプトを聞くと見え方が一気に変わる。 20代という多感な時期に海外でふらふらと生活をし、日々、ライフを求めてきた中で、自信のなさも、不安も全てここには詰まっているのです。場所が特定できないというのは、場所をあまり特定されるとそれが旅行というキーワードに直結するのを恐れたからです。これは旅行の写真ではなく、あくまで日々の生活の中で撮っていたのですから。
CA : 静けさや美しさだけではなく、作品の作られた背景ある精神性。ある種、古典的にすら感じてしまう展示構成にも理由が明確にあるということですね。
J : まさにそうです。フレームのサイズや、構成も色々と試行錯誤の末に行き着いた展示方法で、当初は家具を配置したり、インスタレーションのように展示したりを考えました。しかし、展示を準備している中で、このプロジェクトを見つめ直していると、写真を撮っていた頃に持っていた不安や自信のなさは、この作品のとても重要なエッセンスになっていると改めて感じました。私にとっては、家具を置いたり、インスタレーションをしたりするのは、この作品の持っている、そしていまだに自分が持っている不安や自信のなさを誤魔化すような行為に感じてしまったのです。自分の不安や自信のなさを全て見てもらってこそ、この作品の本質が見えてくるのではないかと思ったのです。裸で真っ正面から対峙したいと思ったわけです。堂々としているかはわからないけれど、猫背でも良いから、とにかく裸で真ん中に立ちたいと。
CA : 家具などと配置することによってさらによく見える作品だなとも感じていましたが、今の話を聞くとすごく納得します。それが伝わる展示空間でしたし、絵をしっかりと見ることができるフレーミングだったし、情景に入り込める余裕のある作品だなと直感的に感じました。
J : 家具を配置するなら、そこにある家具との親和性やまた違ったストーリーを見せることができます。今回は、そうはしたくなかった、何も隠さずに展示をしたいと思ったのです。キレイなものをそのまま捻れなくキレイに撮れるような人間ではないですしね。お金がなさすぎて野宿をしていたし、オーガニックライムを運ぶトラックの運転も、レストランの皿洗いも、色々していました。それくらい生活に対してストイックに真摯に向き合いたいとも思っていた時期もあります。家に住む前に野宿だとか、靴を履く前に裸足で歩くんだとか、それでこそ本当にそのもの自体が必要かどうかが理解できると。
CA : 一緒に本を作らせてもらっていると、そういう思考を持った人なんだとよくわかります。
J : 光栄です。
CA : ちなみに、写真集及び開催中の展覧会のタイトル『To Find The Right Chair』は何か意味があるのでしょうか?
J : To Find The Right Chair、直訳すると「正しい椅子を探す」となりますが、Chairは具体性を持たせるために使った言葉で、To Find The Right Placeなどの方が意味はわかりやすいかと思います。要するに「心地よい場所を探す」そんな意味を持っています。先ほども少し話したように私自身、20代を色々な場所へ行き、転々としながら過ごし、不安や自信の無さとか無謀な挑戦ができるだけの根拠のない自信だったりを持ち合わせていました。何度もやってみて失敗する中で、自分の心地よさを探してきました。今も見つかっているとはいえませんが、そんな風に探すことこそが私たちの生活においてはとても重要なのではないかなと思っているんです。そして、ぼくの記録とも言えます。 Robert Adamsが1989年にapatureから刊行している写真集に『To Make It Home』というものがあります。移動をせずに、その場所の変化に抵抗し、受け入れ、それでもそこを故郷とするという強い意志の感じるタイトルなのですが、ぼくもそのタイトルに憧れTo Find The Right Chairと、To から始まるタイトルをつけたいという野望がありました。
CA : 野暮な質問にはなりますが、多くの方がお伺いしているのを耳にしたので改めてお伺いしますが、イワサキさんは写真家ですか?もしくはアーティストですか?それとも何か違うものがしっくりきますか?
J : 今回の展示で、よく聞かれましたね。特に何かにこだわるわけではないのですが、一つ言えるのは、写真家でもいいのだけれど、まずは一人の生活者としての眼差しは忘れたくないです。ぼくは、表現者である前に日々を生きる生活者でありたいのです。表現者だから何かを表現しているわけではないですし、生活に対してスタイルを持って対峙して生きていると、その中で写真を撮っていくとこんな風な写真を撮ることができるというのがぼくの理想的なあり方でもあります。もちろん考え方は変わると思うので、今はそんな風に思っています。その感覚は常に忘れないようにしたいですね。
CA : 作家の村上春樹さんも映画監督Jean-Luc Godardも同じようなことをおっしゃっていましたね。村上春樹さんは、「どんな風に女を口説くか、どんな風に寿司を食うか、どんな風に友達と喧嘩するか、それが良い小説を書く秘訣だ」と。きっと、これはゴダールの引用だな感じましたが、ゴダールも同じようなことを学生からいい映画を撮るにはどうすればいいかと聞かれたインタビューの中で同じような内容を答えていました。
J : そうですね、ぼくもどちらも好きな作家ですし、そのゴダールのインタビューを読んだときに自分の考えが言語化された感覚があったのを覚えています。それからぼくにとっては師である元Starnetの故・馬場浩司さん(-2013)に言われた「荷物を運んでくださった配達員の方にお茶を出しなさい、それがもてなしです」という言葉が忘れられないのです。カフェをしたいのであれば、まず友達が家に来たらお茶とお菓子を出せますか?壁の絵をその人に合わせて変えられるか?と。基本的なことはだいたい同じですよね。
CA : 日々スタイルを持って生活をしよう、そしてその中で映像や写真を撮ってみたり、文章を描いてみたりしようということですね。
J : そうです。それが意外と地味で難しいことでもあるんです。でも大きな波の中で見るとすごく大事な要素になっている。継続するのが一番難しい。一度やめてしまってまた同じリズムに戻るのがもっと難しいです。日記を書いていると日々感じています。
CA : そうですね、一度止めてしまったことを再度やり直すことは難しいと思います。ちなみに今生活の話が出ましたが、日々どんな風に過ごされていますか?
J : パンデミックになる前はよく仕事が終われば友人たちと食事に行ったり、友人たちを家に招いたりしていましたが、それもここ2年くらいはほとんどなくなりました。最近になってまた少しずつ招いています。 ぼくは、どちらかというと自分の家で、友達同士が新しく知り合ったり、盛り上がったりしているを見るのが好きなので、みんなのために料理をしたり、片付けをしたりしているのが好きです。自分の作った場所で楽しそうにしている人たちを見るのが好きなので、それは 展覧会会場なんかでも同じかもしれません。自分の作った場所だったら自分が蚊帳の外でもむしろ嬉しいんです。
CA : だから、イワサキさんが撮る写真を見ていても、一定の独特な距離感を感じるのかもしれません。
J : それは意識したことはなかったけれど、言われてみればあまりグッと近づくようなこともないですね。
CA : 2012年からの約10年間、振り返るとどのような日々でしたか?何か変化はありましたか?
J : ぼくは、両親からの影響がとても強く、趣味も考え方もすごく似ている。それから逃げたい、一度その安全な殻から脱したいという気持ちで両親が住まなさそうなフィジーへ行ったというのもあります。だけれど、あれから10年経って、色々な両親が経験しなかったことをしてきたけれど、根本的な考え方や趣味はそれほど変化していないし、むしろますます似ていっているようにも思います。ぐるぐると年輪のように輪の数は多くなるけど、全体の形は変わらないというような感じなので変化したのか、してないのかと言われるとどちらとも言えます。だけれど、知識は、一度それを知り得ない場所に行くとなんの意味も持たないというのをフィジーで感じられたのはかなり大きかったなと思います。そういう場所では、行為だけが本当の意味を持っていると感じました。その考えは、今でもやっぱりあって、いろんなことを知識として受け入れることへの恐怖はあります。「説明できないけれど、この感覚とても好きなんだよね」というものに強く惹かれるのもそういうことだと思います。
CA : 次のプロジェクトは、もう既に何か進んでいますか?
J : 多くの方に作品をもてもらえたことで、また近いうちに新しいシリーズを皆様にお見せできるようにしたいなともう既に思っているのですが、今撮り溜めているのは、& Premiumのウェブでも掲載していただいていたシリーズです。「記憶とは得てきたものなのか、それとも失ってきたものなのか」ということをテーマに進めています。これはTo Find The Right Chairと同じ作り方をしていて、「撮る作業」と「編集作業」を分けて進めています。なので、To Find The Right Chairの延長線にあるようなプロジェクトです。 また、違うアプローチで、2018年のプロジェクトHear The Wind Singのようにテーマを決め込んでから撮るような作品も考えています。
CA : いいですね、To Find The Right Chairは、後から編集したシリーズですし、テーマを決め込んで作る作品も印象がグッと変わりますし、何より作風の幅が出来そうな気がします。
J : そうですね。もう少し真っ正面から対峙するような作品を作りたい気持ちもあります。
CA : 最後何か言い残したことはないですか?
J : Alfo アトリエの古賀さん、松村さん、白井さん、それから上野毛のスガアートさんには大変お世話になりました。DMやデザインまわりはパートナーの聖子ちゃんに大変助けられましたし、今回いろいろなメディアでも展覧会の告知をしていただきました。展覧会に向けて話を聞いてくれた方々もとても助かりました。こんな感謝の気持ちを言えるような人間ではなかったはずで、大体いつも迷惑をかけていますが、写真集を作るとなってから本当に色々な人の力がなければこうやって一つのことを成し遂げられないということを実感しています。それから、いろんな人の気持ちを踏み躙ってしまってきたので、日々感謝の気持ちを持つことを意識しています。新しいシリーズを作っていくことも一つのお礼でもあるように感じます。
CA : あと数日、色々な方々に見てもらえることを心から願っています。
J : ありがとうございます。
We didn’t realize that it's got busier with young people in the cafe until our conversation was done. They seemed they don’t care what we’ve spoken about. They just wanted to meet new friends as if they fill their 2 years long blank. So, we put 1,300 yen on the table and walked forward to the exit.